ピッチの中央で、静かに試合を動かす彼。
彼がどこかに駆け上がるたびに試合のテンポが変わり、一つのパスで流れが前へと傾く。
何もしていないように見える数秒が、次の得点に直結する。
一見すると控えめなプレーに見えるかもしれない。
しかし、ピッチの“空気”を支配しているのは、間違いなく彼だ。
彼のような選手は、どうしてあんなにも “判断が速くて的確” なのか。
身体能力? 経験? もちろんそれもあるだろう。
でも、それだけではない。
そこには、言語化する力、戦術を理解する力、そして考え抜く力という、“見えない思考の土台” がある。
彼のインタビューを聞いたことがある方なら、その “言葉の明確さ” に驚かされたことがあるかもしれない。
話し方は落ち着いていて淡々としているが、その内容は非常に具体的だ。
たとえば、こんなふうに語る。
「相手の左サイドバックが前に出ていたので、その裏のスペースを使いました。」
「味方がパスを受けづらそうだったので、自分が一度中に入り、攻撃のリズムを組み直しました。」
感覚だけで動いているのではなく、「なぜそうしたか」にちゃんと理由がある。
そしてそれを自分の言葉で説明できる。それこそが、彼が “本当に頭の良い選手” である理由だ。
言語化する力があると、自分の判断を客観的にとらえ整理することができる。
うまくいった場面も、うまくいかなかった場面も、次の判断につながる「再現性」に変えていける。
偶然の成功に頼るのではなく、「なぜうまくいったのか」を理解し自分の中に残していける。
言語化とは、経験を “再現可能な力” に変えていく静かな技術。
それは、プレーの深さを支える頭脳の働きなのだ。
ピッチの中にいるのに、まるで上空から全体を見ているようにプレーする彼。
その判断には、常に “全体の構造” がある。
相手がどんな形で守っているのか。
味方はどこに立ち、どこに動こうとしているのか。
どこにスペースが生まれ、どこに人が足りないのか。
そのすべてを踏まえて、自分の立ち位置や動き、パスの強さまでも調整している。
サッカーは、個人の技術だけで成立するスポーツではない。
チーム全体の文脈を理解していなければ、どんなにうまくても “浮いた存在” になってしまう。
戦術理解とは、「目の前で起きていること」を言語的にとらえる力。
頭を使って “文脈” を読める選手は、見えているものの数が違う。
自分だけではなく、全体の一部として物事をとらえられる視点の広さ。
それが、ピッチの中での一手一手を支えている。
前に出るか、いったん下げるか。
リスクを取るか、安全策を選ぶか。
サッカーの中には、常に複数の選択肢がある。
そして彼は、そのなかで迷わず選び、行動できる。
それは、たまたま “勘がいい” わけではない。
「なぜ?」を積み重ねてきた人だけが持てる判断力だ。
たとえば──
なぜ、あの場面でパスを選んだのか?
もし別の選択をしていたら、どうなっていたか?
チームとしては、どういう流れがよかったのか?
そういった問いを、日々の中で考え続けることで、判断の精度は磨かれていく。
考える力とは、「迷わないための知識」ではない。
迷ったときに、自分なりの理由で決断できる力だ。
その積み重ねこそが、判断にブレのない選手をつくり、ミスを引きずらない強さを育てる。
彼の判断力を支えているのは、反射神経や感覚ではない。
そこには、「見て、考えて、言葉にして整理する力」がある。
一瞬でプレーを選べる選手は、
その裏で何度も「なぜ?」「どうして?」と問いを立てている。
言語化できる選手は、自分のプレーを振り返ることができ、
考える力のある選手は、ミスを成長の糧にできる。
これらは、生まれつきの才能ではない。
練習・試合・その前後の “思考の時間” の積み重ねで育つ力だ。
たとえば──
試合のあと、自分のプレーをふり返ってみる
「何を見て、何を選ぼうとしたのか」を考えてみる
コーチや仲間に、自分の判断を言葉で説明してみる
それだけでも、思考の根が深まっていく。
そしてこうした力は、サッカーの外でも磨かれる。
学校であった出来事を、自分の言葉で話す
本やニュースを読んで、自分なりに考えて説明する
失敗に対して「なぜ?」と向き合ってみる
そういった日常の中の問いと対話が、
ピッチでの判断にやがて静かに表れてくる。
自分で問い、自分の言葉で整理し、納得したうえで動ける人へ。
それが、“判断で試合を動かせる選手” への確かな一歩になる。
※筆者は、阿南市才見町で『明石塾』という学習塾を運営しています。
当塾では、子どもたちが自分の言葉で考え、納得して選べるよう、「国語力の育成」や「論理的思考力の土台づくり」に力を入れています。
この記事の内容にご関心をお持ちの方は、当塾のHPもご覧いただければ幸いです。